来シーズン(2027年)、富士登山に挑戦することにした

 

 

この記事はアウトラインを箇条書きで提示して、AIで文章を生成しました。

きっかけは「新幹線と飛行機からの富士山」

私は仕事の都合で2ヶ月に1回くらい新幹線に乗り、帰省で年に数回は飛行機にも乗る生活をしています。そしてどのルートでも、大体毎回のように富士山が見えます。

正直、見えるたびに写真を撮ってしまうくらい富士山が好きでした。

よく見ると、自分以外にも車内や機内から富士山を撮っている人をたくさん見かけます。新幹線や飛行機のアナウンスでも「右手に富士山が見えます」といった案内が入ることがあるくらいなので、これだけ多くの日本人を魅了する山なんだな、と改めて思います。日本の象徴と言っても過言ではないですよね。

そんな富士山の実物を一度は見てみたい——そう思うようになりました。

「ジムの成果を試せるかも」という発想

運動全般はどちらかというと得意ではなく、登山も未経験。ただ、ジムには数年通っているので、もしかしたらその成果を試すという意味でも、富士登山ができるのではないか、と考えました。

まずは気軽に五合目まで車で行ってみようかな、と調べてみると、富士山にはマイカー規制があり、シーズン中は車で直接五合目まで行けないことを知りました(シャトルバスなどに乗り換える必要があるようです)。

……と、ここまで考えたのが1年ほど前のこと。結局、登山未経験という不安が先に立ち、特に行動には移せずにいました。

YouTubeのコメント欄で背中を押された

最近、いつも見ているYouTuberが富士登山の動画を公開していました。

その動画のコメント欄を見ていると、「登ってみたかったが、年齢や病気でもう登れなくなってしまったのでこの動画で登った気になれてうれしかった」という趣旨のコメントが複数ありました。

これを読んで、「登れるうちに登った方がいい」という気持ちが強くなりました。体力も年齢とともに変わっていくものですし、いつでも挑戦できるわけではない。今はまだ登れる可能性がある、というのは案外貴重なことなのかもしれません。

登山未経験者はどのぐらい準備すれば富士山に登れるのか?

そこで、登山未経験者が富士登山に挑むことの難易度について、AIに相談してみました。

分かったことをまとめると、

  • 「初登山が富士山」というのは推奨されるものではないが、そのような人はそれなりにいる(一応登りきれている)
  • ガイド付きの登山ツアーも存在する

とのこと。これを知って、「それなら適切な準備をすれば、登山未経験の私でも何とかなるだろう」と思えるようになり、富士登山への挑戦を決意しました。

※未経験でいきなり富士山に行くという意味ではありません

来シーズン(2027年)に決めた理由

2026年はすでに開山期間に入っており、しっかり準備する時間がありません。そのため、しっかり準備をした上で来シーズン(2027年)に挑戦することにしました。

2027年に向けたステップについては、AIにも相談しながら大まかな案は出してもらっています。ただ、それを精査して実際に実行していくのはこれからです。トレーニング計画、装備の準備、高山病対策など、やるべきことは色々ありそうです。

まずは今年、五合目バスツアーへ

ちょうど今年の家族の夏休みの予定が特に決まっていなかったので、本格的な登山の前段階として、まずは今年、富士山五合目バスツアーに行くことにしました。実際に五合目の空気や景色を体感して、来年への準備に活かしたいと思っています。

これからのこと

登山未経験、運動もそこまで得意ではない自分が、来シーズン富士山登頂という目標を立てました。無謀かもしれませんが、「登れるうちに登る」という気持ちを大事に、少しずつ準備を進めていきたいと思います。

今後の準備の様子や記録も、このブログに書いていこうと思います。同じように富士登山を考えている方の参考になれば嬉しいです。

中性脂肪とコレステロールを改善するためにストイックに食事制限してみた

先日の献血ブログではかつて肝機能の数値が悪かったことを書きましたが、脂質(主に中性脂肪)に至ってはつい最近まで非常に悪かったのですが、改善に取り組んだお話です。

就職して毎年健康診断を受けるようになって二十年弱、中性脂肪が正常値だったことは2回ぐらいしかなくほぼ毎回300前後を推移していました。太っていた時期にそうなるのはまだ理解できますが、ここ数年は太ってもいない・お酒も飲まない・運動習慣もあるのに数値は良くならず、母からも妻からも(ともに医療従事者)「何が悪いというより体質なのでは」と言われ、数値が悪くても特に対策を取らずに過ごしてきました。

2025年の健康診断はそれまでと健診施設を変えたところ、健診後に面談があり当然のごとく中性脂肪の指摘を受けました。体質でいつも高いから許されるわけではございません。特に何も対策をとっていないことを話したところ「これは1年に1回の検査では心配な数値」と言われ、話をする中で酒も飲まない・運動習慣もあるとなるともう食事を改善するしかないと悟りました。また、肝機能についても若干の異常値、エコーにて脂肪肝であることも分かりました。

幸いにして(?)食事には大幅に改善の余地がありました。カレーや揚げ物が好きでよく食べます。在宅勤務の昼ごはんは、レトルトカレー・レトルトどんぶり・冷凍パスタ・カップ麺などのローテーション。外食時もやはりカレーや揚げ物系。腹をくくって覚悟をしてこれを何とかすることにしました。

ChatGPTと相談しました。以前にもあすけん(食事管理アプリ)を使っていたことは何度かありますが、あすけんのカロリー制限に従うと割とすぐに体重が減るのですが、その分すぐにおなかがすくという問題があることを以前からわかっていました。そこで、空腹になりづらいという要素も含めて考えました。

その結果、在宅勤務の昼ごはんは以下のようなメニュー構成で行くことに決めました。

  • もち麦ごはん or オートミール
  • 魚の缶詰 or 煮物などのパウチ
  • 野菜多め味噌汁 or 野菜多めコンソメスープ
  • 生野菜(場合によってサラダチキンをプラス)
  • プロテイン(ジムに通っていたので以前から飲んでいた)

在宅勤務の昼休みに迅速に準備できるように、もち麦ごはん・味噌汁・コンソメスープは冷凍してストックしておきます。コンソメスープは以前から夕食時には作っていたこのレシピで作って冷凍、味噌汁は味噌玉というものを作って冷凍しました。

昼食は上記のような感じ、夕食は自分が作るときは野菜や魚系のメニューを作るか、脂っこいメニューを作るときは自分だけ別のものを食べました。妻が作るときは、ちょっと脂っこいぐらいなら量を気にしつつ食べ、結構脂っこいものの時だけ別のものを食べるようにしました。外食時はうどんや海鮮系のメニュー、休日の昼食はスーパーの安い寿司にすることが多いです。寿司は満足度が高くてヘルシーであることに気付きました。

同時に、あすけんで目標体重を設定して、食事内容を入力しなるべく脂質の摂取量とカロリーがオーバーしないようにしました。今回は体重が主目的ではありませんが、食べ過ぎ抑制のためと、どうせなら標準体重にはなりたいということで減量目標も設定しました。

やや極端のような感じもしますが、どこまでやれば中性脂肪が改善するのか見当がつかなかったため、限界に近いところまでやって再検査の結果がどうなるを見て、余裕があれば緩めるという方針で行くことにしました。再検査はこれもChatGPTの意見を参考に3ヶ月後としました。この話を色々な人にしましたが、みんな口をそろえて「ストイック」と言っていました。

結果、7月20日ごろから食事制限をはじめて、10月30日で体重は65.5→59.0キロ、体脂肪率は22%→19.5%となりました。

脂質は10月16日に再検査を行い以下のような結果になりました。

ここまで極端にやってもまだギリ異常値!?という気持ちはありますが、大幅に改善したのでまあ良しとしましょう。あまり緩めることができる数値でもないので、これからも食事に気を付けながら生きていく所存です。

16年ぶりに献血を再開した

先日こちらの記事で献血ができない薬をやめて、献血を再開する話を書きました。

フィナステリドの服用を中止してから1ヶ月が経過したので早速献血に行ってきました。そしたらちょうど同じタイミングでTwitterでこんなポストが流れてきて、いろんな人の献血の遍歴やきっかけを目の当たりにしました。そんなこんなで、ブログを書こうと思いました。

 

 

話を戻してフィナステリド服用中止1ヶ月と書きましたが、献血と服薬の関係は当日飲んでいてもOK、当日飲んでいなければOK(前日まで飲んでOK)、3日以内に飲んでいなければOKなど、色々な薬がありますが、フィナステリドは1ヶ月以内に飲んでいると献血できないというかなり厳しい条件の薬です。(ちなみにフィナステリドよりも効果の強いAGA薬デュタステリドは6ヶ月も献血できません)

ここで、これまでの私の献血遍歴をまとめておきたいと思います。(自分のためにまとめておくのが本記事の目的です)

私が献血を始めたきっかけは簡単に言うと「父が頻繁に献血していた」からで、私が初めて父の献血回数を認識した時点で50回は超えていたと思います。(ちなみに献血のきっかけは、私と同じように家族が献血していたというパターンは多いらしく、他には家族や知人が輸血のお世話になったからというパターンも多いらしいです)単純に回数が可視化されて人の役に立てるのは楽しいなと思ったのと、記念品やお菓子をたくさんもらっているのを見て、献血できる16歳になったらすぐに献血を始めようと決めており、実際に16歳になったその月に早速献血バスに出向きました。当時、献血ルームが近くにない地域に住んでおり、献血バスの巡回予定を主に市の広報誌で調べて献血に行っていました。18歳からは400ml献血にステップアップしましが、全血献血は男性の場合200mlで6回・400mlなら3回しか年間にできないので献血ルームが近くになく献血バスのみの利用でもそう難しくなく年間上限回数の献血を実行することができます。16歳から20歳までは毎年上限回数まで献血していたと思います。

20歳になり大学進学のため引っ越した街は献血ルームがある街だったので、成分献血の上限に達するように通い始めました。ですが、当時結構太っていたため脂肪肝で肝機能の検査結果がよくありませんでした。これは16歳で初めて献血をしたときの検査結果からそうだったのですが、献血ができないという条件には当てはまっていないようでずっと続けることはができていました。ですが、ある時献血後に届く検査結果で肝機能の数値が今まで以上にかなり悪いことがあり、その次に献血ルームに行った際にその場で肝機能の検査を行い、やはり数値が悪かったので初めての献血お断りとなりました。(通常は献血前の検査では肝機能の数値は調べないので、数値が悪い人の特別な対応でした)

正式に診断を受けていたわけではないですが、原因は脂肪肝とほぼ予想できていたので、その後太っている状況は変わりないので数値改善も見込めず、献血に行くのをやめざるを得なくなりました。その約2年後に就職して職場に献血バスが来た際に、献血バスならその場で肝機能の検査はできないので断られないかもというのともしかしたら数値良くなっているかもという希望のもと、献血(バスなので成分ではなく400)に行きました。献血はできましたが、届いた検査結果はやはり肝機能の数値が結構悪く、やはり今後献血はできないと判断せざるを得ませんでした。これが16年前、今回献血を再開する前の最後の献血でした。ここまでで献血回数は36回でした。

数年後、色々な理由から痩せることに成功し献血断られない数値になったと期待できましたが、ほぼ同時にフィナステリドを飲み始めたためやはり献血は断念せざるを得ませんでした。普段の生活圏内に献血ルームがある場所に住んでいますし、献血の呼びかけを見るたびに「本当はしたいのに」と悔しい思いをしていました。その裏返しですが今回献血を再開するにあたり、生活圏内(隣駅・自転車でも行ける)に献血ルームがあり、引っ越す見込みもほぼゼロなので、最大限年間上限まで末永く献血を続けていく所存です。

さて、いよいよ今回の献血の話です。私が献血をしていない16年間の間に、Webから予約できる仕組みになっており、献血カードもアプリからの利用可能、検査結果もWebでの閲覧になっていました。フィナステリドの服薬を中止した段階で1ヶ月後に予約を入れ、1ヶ月後を今か今かと待ち構え、youtubeで様々な献血に関する動画を見て過ごしました。(献血ルームのレポート動画や、献血後の血液がどのように製剤になるかの動画など)

Web予約は献血カード番号があればそれを使って会員登録して予約できるのですが、2013年以降に献血していない場合は一度献血ルームで受付しないと会員登録ができないらしく、会員登録しない方式での予約をしました。献血ルームで受付後、その事情を説明して献血カード番号を提示しようとしたら、既に過去の私のデータが読み込まれていました。おそらく名前と生年月日で一致するものを探す仕組みがあるんでしょうね。

当日はいつものジム通い(プール)の後で献血に行ったのですが、献血前の検査で白血球が高く「この数値だと医師の確認が必要なんですが、風邪っぽいとか、激しい運動をしたとかありますか?」と聞かれてしまいましたが、プールの後に来たことを話し医師からは献血OKが出ました。(ただし、血小板成分献血血漿成分献血に変更になりました)

16年の間に変わっていたこととしては以下の気づきがありました。

  • シーフテスト
  • 水分補給をかなりしつこく勧められる
  • 比重の検査がヘモグロビンの検査に変わっていた
  • 針が細くなっていた

献血できるかの基準が、以前は血液の比重で青い液体の中に血液を一滴落として沈むかどうかで判断していました。調べてみるとこれは硫酸銅法というそうです。これが、機械でヘモグロビン量を測る方法に変わっていました。

針については細かく見た目を覚えていたわけではないので見ただけではわからなかったと思いますが、針が細くなったとネットに書かれていました。献血の針は予防接種や健康診断の採血に比べると断然太く、それなりに痛いという記憶があったのですが、そう思って身構えていたからなのか細くなった影響なのか看護師さんがうまかったのかわかりませんが、あまり痛くありませんでした。

その後は順調に進み、血漿成分献血4サイクルがちょうど1時間で終わりました。

今の献血カードの状態(過去3回分の表示)は

  • 肝機能でストップがかかる前の最後の献血(愛知県)
  • 先述の、その後一度行ってみた職場に来た献血バス(山口県
  • 16年空いて今回の献血(東京都)

という今しか見れない記念すべき状態です。

これから年間上限目指して、趣味の一環としてできればいろんな献血ルームも行ってみて、やっていきたいと思います。

40歳になって喘息デビューした話

2025年5月に喘息と診断されました。

喘息というと子供がなるものというイメージがあったのですが、実際は大人で40代ごろから初めて発症するケースも多いようでまさにこれに該当しました。調べてみるとそのような情報がたくさん出てきました。

 

2025年4月上旬に発熱と咳症状があり、特に病院に行くことなく一旦は治ったのですが、一週間前後で咳が再発し5月のゴールデンウィーク明けまで良くなったり悪くなったりする状態が続きました。

以下のような状態だったのですが、これはまさに喘息のチェックリストにも含まれる典型的な症状でした。

  • 良くなったり悪くなったりする(特に朝・夜悪くなる)
  • 湯気や冷気で誘発される
  • 香りで誘発される(柔軟剤など)

(↓上記サイトから張り付けたチェックリスト)

 

ゴールデンウィーク明け、あまりにも症状が改善せず、実家に帰省する予定もあったため近所の呼吸器内科に行きました。(感染症であれば帰省を取りやめる判断をする必要があり、はっきりさせるため)

診察に入ると、すぐに「長く続いてるので検査してみましょうか」と言われ、レントゲンと肺活量と呼気NO検査(NIOX VERO)をしました。呼気NO検査というのは知らなかったのですが、吐く息で喘息かどうかを判断するものです。喘息は気道に炎症があり、炎症があると一酸化窒素が生成されてそれが呼気に含まれるので判断できるそうです。

見るサイトによっても数値が違いますが、20ぐらいを超えたら喘息の可能性があり、30後半だとほぼ確実に喘息だそうなのですが、この数値が33でした。

レントゲンと肺活量の結果は説明なかったですが、この数値から「風邪がきっかけで喘息になってますね~」と言われました。喘息という結果は想像してなかったのでちょっとびっくりしましたが、それで全然治らなかったのかーというのも非常に腑に落ちました。

薬は

  • ブデホル吸入(炎症を抑える、気道を広げる2つの作用がある吸入剤)
  • モンテルカスト(アレルギーの薬)
  • ツロブテロールテープ(気道を広げる背中に貼るテープ)

が処方されました。

当日から翌日には喉がムズムズしている感じが減って咳が減り始めました。ステロイドの吸入はさすがによく効くなーと思うと同時に、これが効くということはやっぱり喘息なんだなーと思いました。咳込むのがほぼなくなったのは一週間弱ぐらいかと思います。

喘息というのは予想外でしたが、喘息はサクッと治るものではないと思ったので、まずはネットで色々調べてみたところ以下のようなことがわかりました。

  • 症状がしっかり一致するので1ヶ月も咳が治らなかったのは非常に腑に落ちた
  • 喘息は継続的に軌道に炎症がある状態なので、継続的に対処する必要がある

また、2年以内ぐらいに数回、風邪の後の咳が長引いたことがあったのでそれも納得がいきました。

さらに知識を得るために以下の本を読んでみました。

一旦症状が落ち着いても治療を継続することが必要とわかったので、最初に出された薬がなくなってからも通院を継続しており「半年ぐらい続けて、そこから減薬ですかね」と言われました。(次回の通院が半年なのでまだ減薬してません。乞うご期待)

以上、内容は調べれば出てくることばかりで新規性のないブログではありますが、経過の記録のために書きました。

フィナステリドをやめて献血を再開する

以前こちらの記事に書いたことがありますが

プロペシア(フィナステリド)が安い病院 - ぬぼろぐ

私は25歳にしてはっきり薄毛とわかる程度になり、26歳ぐらいから40歳となる現在まで約15年ほどフィナステリドを飲み続けてきました。

フィナステリドは数少ない医学的に効果が認められている薄毛対策でありますので、おかげさまで飲む前よりは髪の量は回復し、それ以降は薄毛が目立ちにくい短髪(スポーツ刈り)にすることで大きなコンプレックスは感じず今日まで生きてくることができました。

一方で費用の負担は大きく、いつまで飲み続けるのかという問題がありました。(ジェネリックがなかったころは月7,000円、ジェネリックがある現在は月4,000円)普通に考えて飲むのをやめればまた薄毛は進行します。何か出口戦略はあるのか?一生飲み続けるのか?薄毛でもおかしくない年齢になったらやめるのか?

同時にスカルプDというシャンプーも使っており、これは薄毛対策用の4000円ぐらいする超高級シャンプーでした。実際これが薄毛に効果があるのかはよくわかりませんが、一度始めてしまった手前やめられずにいました。直接薄毛に効果があるかは不明ですが頭皮の脂を落とす力がかなり強力なのは間違いなく、旅行などで数日違うシャンプーを使うと明らかに頭皮が脂っぽくなるのがわかるほどです。ですので、旅行やジム通いでも小分けのボトルに入れて常にこのシャンプーを使っていました。こちらも手間や費用が問題となっていました。

いっそ坊主にするかというのは何度も考えていたのですが、もし坊主にしてみて致命的に似合わなかったときにリカバリーする方法がない(伸びるのを待つしかない)のでなかなか踏み切れずにいました。坊主にしたら薄毛が止まるというわけではありませんが、あまり目立たなくなりのでまあ許せるかってやつです。

ある時、ChatGPTに私の写真を入力して坊主化してもらえばよいのではと気づき(同時にTwitterのフォロワーからも同じ意見があり)、試してみたところ許容範囲内だろうと思うに至りました。

また、25歳で薄毛はさすがに聞いたことも見たことなく勘弁してほしい気持ちがありましたが、40歳にもなりそろそろ薄毛でもおかしくない年齢も近づき始め、坊主にしてフィナステリドをやめる・ついでに坊主にすれば頭皮がかなりダイレクトに洗えるようになるのでスカルプDもやめれるだろうと思いました。

そして、フィナステリドをやめる理由としてもう1つ強くあったのが「献血をしたい」です。私は父の影響で16歳になってすぐに献血を始め24歳ごろまでで30回を超える献血をしていましたが、太っていたこともあり脂肪肝で肝臓の数値が悪くなり途中でストップがかかりました。その後、痩せたことで肝臓の数値は良くなり献血が可能と思われる状態になりましたが、そのころにはフィナステリドの服用を始めていたため献血を再開することはできず十数年、今日にいたりました。(フィナステリドは1ヶ月以内に服用していると献血ができない薬です)献血は簡単に社会貢献をしつつ、感謝もされる素晴らしいもので、回数を増やすというある種ゲーム感覚の楽しさや色々な献血ルームに行くという楽しみもあり、また献血がしたいという思いが強くありました。

最後に、坊主にしてみて絶望的に似合わなかったり、それでも薄毛が気になる場合はミノキシジルを使うという手があることに気付きました。ミノキシジルはフィナステリドと同じく数少ない医学的に効果が認められている発毛剤であり、献血に制限はかかりません。

以上のような考えがまとまり、2025/09/23に最後のフィナステリド服用をし、3mmの坊主にしました。(同日、エレクトーンの発表会に出演する予定だったため、やってみて致命的におかしかった場合はこまるので、エレクトーンの発表会終了後に理容室に行きました)

2024年振り返り

2024年は近年になく活動的に過ごすことができ、ブログやQiitaにもいくつか記事を書くことができたので、2024年に書いた記事を集約しつつ出来事を振り返ろうと思いました。

1年の振り替えの記事を書くのは相当久しぶり、mixi以来ではないかと思います。

なぜ余裕ができたか

家族の体調が良くなったから、これにつきます。妻のことを悪く言うわけではないですが、元をたどれば子供が生まれてから慢性的に、特に2022年,2023年は非常に妻の体調(心身とも)が悪かったのですが、通院と療養の甲斐あって2024年はかなり体調がよくなりました。これにより、私の方も精神的にも、家事分担の面でもかなり余裕ができました。また仕事も落ち着いていて残業が少なかったというのもあります。その結果やりたいことが浮かんでくる精神的余裕と、実際に行動するための時間的・体力的・精神的余裕もできました。

なぜアウトプットが増えたのか

これは結構はっきりしていて、参加しているコミュニティでアウトプットが盛んなので自分もやってみるか・やったら何か得るものがあるかも・人の役にも立つかも、と思ったからです。

趣味でのIT

ここはなんと表現するのが適切かわからないのですが、まず仕事もITですが仕事以外でやってる話なので「趣味での」とつけたのと、主にプログラミングの話ですがプログラミング以外のこと(例えばサーバー管理とか)も含まれるので「IT」としました。

まずは2月に運営しているサイトのサーバー(さくらのVPS)を更新しました。これは仕事のノリで結構真面目にプロセス考えやって、障害無しで終わったので良かったです。

具体的な内容は非公開ですが、家庭内の日常の作業をSeleniumを使っていろいろと自動化しました。色々と便利になったので自己満足の満足度高いです。

上記Seleniumなどを動かしてるのはOracle Cloudの無料枠なのですが、ちょっとミスって焦りましたが誰かの役に立つようにその経過をまとめました。

仕事で作ってたプログラムを元ネタに、アドベントカレンダーに2記事投稿。これこそが、前述の参加しているコミュニティに感化されたアウトプットです。

そして、前述のSeleniumでの諸々自動化とも関係するのですが、SeleniumだけでなくAngleSharpでのスクレイピングもしてるのですが、それ関係で問題が起きたので調査しました。OSSや.NET自体のソースコードまで追いかけたのはなかなか勉強になり達成感がありました。

ちょっと間に合いませんでしたが、issueとプルリクも作る予定。

 

他にもいろいろと家庭用・自分用のツールを作ったりしていたので、今年のGithubの芝生はこんな感じ。

これでもツヨツヨな人に比べれば全然ですが、自分的には2023,2022に比べると大幅に増えました。(以下比較用)

2022年2023年はプログラミングしたいネタがなかったというのもありますが、そもそも精神的余裕がなかったのでネタが思い浮かばなかったというのもあると思います。ですので、やっぱり2024年は良かったなと思うのでした。

水泳

直近の記事に詳しく書きましたが、水泳頑張りました。楽しいです。

プールに行った回数もカウントしているのですが、こんな感じでした。

回数
1 4
2 0
3 2
4 7
5 7
6 12
7 15
8 19
9 20
10 17
11 13
12 16
  132

計132回、後半から頑張り始めたので来年は1年通してこのペースで行きたいですね。大体1回で2キロ泳いでますが、たまに少ない日もあるので1回1.5キロで計算すると198キロでした。

これから長く続く趣味にできたらなと思います。

おでかけ

電車が趣味の息子とは今年も色々と出かけました。途中から息子の友達も一緒に行くようになったのがこれまた楽しかったです。

 

家族旅行も近年はコロナ渦や前述の家族の体調の事もあり、あまり積極的に考えられなかったのですが、そろそろ家族で思い出に残ることをしなければと思い考えました。ふと、昔社員旅行で行った三重のホテルがよかったことを思い出し、愛知県まで車で行きそこから船で三重県に渡るルートで伊勢に行きました。企画した後でわかったことですが、子供が大好きなポケモンの企画を志摩スペイン村でやってたのもよかったです。

その他

これは自分的にかなり大きい出来事だったのですが、ほくろを取りました。

振り返ってみると、こんな記事も書いてました。しょうもない話ですが、セブン銀行の口座があればスマホだけで現金を得ることができるというのは役立つ情報ですね。

 

あと今年は100歳の祖母がなくなりました。100歳まで生きるのは快挙だと思います。私は祖母と同居、両親共働きだったこともあり、結構おばあちゃんっこでした。ですが、100歳まで生きたすごさとさすがに近年は少し覚悟してたところもあり、大きな悲しみや落ち込みはなかったですが。

 

おわりに

というわけで、2024年は近年になく充実した年になったと思います。2025年も基本的に活動内容は継続で、なお一層楽しんでいこうと思います。2025年は仕事でも大きな成果が出せるといいなと思います。

 

水泳を頑張り始めて親子で大会に出た話~後編~

前編はこちら

 

私が息子と同じスクールに通い始めてちょっと経った頃、そのジムの全店での水泳大会の案内が貼られていました。店舗数が数十店舗あるジムなので、募集定員は1000人のなかなか大きな大会です。今まで競技としての水泳はやったことがないので、出場しても場違いにならないか心配でしたが、初級・中級者も歓迎で水中スタートもOK(飛び込みできなくてもOK)とのことでした。さらに、これは中学生以上が出場できる大会なのですが、「家族リレー」(25m×2)という種目もありこれは年齢制限なしとのことでした。これなら最近25m泳げるようになった8歳の息子も出場できます。親子でこのジムにどっぷりお世話になっている我が家のためにある種目であるかのように思われました。自分の泳ぎがどのぐらい位置にあるものなのか知りたい・ここまでの成果を確認してみたいということもあり、出場することにしました。息子はあまり乗り気ではありませんでしたが、「お父さんが一緒に泳ぎたいから!」とお願いして何とか承諾してくれました。大会のポスターに過去の大会での親子の写真がいい雰囲気だったので、同じような写真が撮れたら(同じような達成感が得られたら)と思いました。私の個人種目は25m自由形と25m平泳ぎに出場することにしました。これが9月の話、大会は11月半ばです。

7月から通い始めたスクール(レッスン)では1回のレッスンで2種目、1種目2か月間練習するローテーションでした。今まで泳げるつもりでいたそれぞれの泳法も、改めてパーツを分解して練習すると得るものがたくさんありました。特に、スクールに入った一番の目的であったバタフライの泳法をもう一度学びなおすのがしっかり達成できたのは大きかったです。小学生のころバタフライをどう習ったのかはもう覚えていませんが、今となっては第1キックと第2キックに分かれるということを全く理解していなかったのですが、これが理解できて、今までの一応泳げるものの前に進まず疲れるという感じがかなり減りました。平泳ぎのひとかきひとけりも存在は知っていたものの一度も習ったこともやったこともなかったのですが、これもできるようになりました。

一方スクール以外の日は、25m往復の行きをクロール・帰りを平泳ぎでひたすら一時間泳ぐ、プラスアルファで背泳ぎとバタフライの練習というのを続けていました。2km泳ぐのに約1時間かかっていましたが、50分弱で2km泳げるようになってきました。(さらに12月の現時点では45分ぐらいになりました)

9月下旬までは週5でプールに通う上にあすけん(スマホの食事管理アプリ)でカロリーの制限もしていたのですが、疲れがひどく仕事のパフォーマンスにも若干影響が出ていたので、さすがにこれだけ体力を使って食事制限までするのはやめようと思いました。プロテインも飲み始めることにしました。

10月末まではひたすら1時間泳ぐだけでしたが、11月からは大会に向けて25mを全力で泳ぐ練習を始めました。大雑把にタイムを計ってみて、クロールが17秒ぐらい・平泳ぎが23秒ぐらいのようでした。また、息子と家族リレーの練習もしました。私も息子も水泳のリレーはやったことがなく、大会では飛び込みをしないつもりだったので確実に壁タッチを確認してからスタートをする練習をしました。泳ぐ順番については、私が第1泳者、息子が第2泳者とする予定ですが、何らかの理由で順番を指定された時のために逆も練習しました。

競技としての水泳は超初心者なので、大会や会場の雰囲気がどんな感じなのかも予習しました。50mプールを横方向に使うことで25m(短水路)になり、さらにそれを半分ずつにわけて、A面・B面として男女別々に同時進行にで協議が進む方式ということが理解できました。また、会場の千葉県国際総合水泳場の50mプールは水深が2m固定で可変ではないことがわかったので、水中スタートはどうなるのか・特に小2の息子は大丈夫なのか心配でしたが、過去の大会の動画を見てスタート位置にはプールフロアが置いてあって足がつくことがわかったので安心しました。(プールフロア=スイミングスクールでよく使われる赤い足場のようなものです)また、スタートの合図は「Take your marks」ということも初めて知りました。

そして迎えた11月16日の大会当日。我が家から車で1時間半の千葉県国際総合水泳場へ向かいました。息子はイメージした会場とはだいぶ違ったのか(観客席がある、とても広い)、「こんなだと思ってなかった、やっぱり出ない」と早速半べそになっていましたが、何とか持ち直しました。

水泳の大会は初めてなのでこれが普通なのかよくわかっていませんが(たぶんこれが普通なんですよね)、要項に書かれている通りいったん競技用プールの横の飛び込みプールでウォーミングアップして、乾いた水着に着替えてジャージを着て客席に戻りました。当たり前ながら飛び込み用プールは水深がとても深いので、普通に泳ぐ分にも変な感じがしました。競技用プールも含めてですが、普段泳いでいるプールより水温が低いのですが、困るほどではないというのも確認できました。

自分の出場順が近づいてプールサイドに行くと、これが水泳の大会の雰囲気なのかというのを味わいました。驚いたのが、水中スタートする人はとても少なくてもほとんどの人が飛び込みをしていました。初級中級者も歓迎の大会、しかも普段ジムでは飛び込みの練習ができるわけでもないのに、なんでみんな飛び込みできるんだと思いました。私は高校生の時以来一度も飛び込みをしたことがなく自信がないので水中スタートするつもりでいましたが、雰囲気に押されてやっぱり飛び込みにしようかと思ってしまったほどです。(が、失敗や腹打ちが嫌なのでやめました)みんな同じように雰囲気に押されて飛び込みしてたんですかね。ここで、次の目標の1つは飛び込みできるようになることと定まりました。

競技の結果、タイムは

25m自由形:16秒68

25m平泳ぎ:21秒62

でした。どちらも年齢区分別の順位では下位の方ですが、基本的に運動が得意ではない・飛び込みをしていない・クロールはドルフィンキックのスタートもしていないという条件のなかでは満足いくものでした。

午前中の25m系の競技の後、13時頃から家族リレーでした。息子は会場到着後のウォーミングアップには行っていないのですが、さすがにいきなりだと水が冷たくて困ると思ったので、プールサイド待機のタイミングでウォーミングアッププールに連れて行きましたが、水が冷たいと半泣きでもう帰ると言い始め、ウォーミングアップに連れて行った方がよかったのか連れて行かない方がよかったのか頭を抱えました。

私のように家族リレーのペアが同じスクールに所属している小さい子供という人は他にどのぐらいいるんだろう?と思っていましたが、他にもいたので同じように親子で水泳頑張ってる人がいるんだとうれしくなりました。家族リレーの出場者のうち、はっきり覚えていませんが2~4割ぐらいかなと思います。

半泣きになりつつもなんとか出場順を待機しているときに、所属店舗で息子の一番馴染みのコーチが話しかけてくれて、後ろを伴永してくれることになりました。これは、うちの子に対して特別というわけではなく、家族リレーの他の小さい子や大人の種目でも高齢者や障害者(と思われる)に対しては行われている対応でした。伴泳してくれたのが所属店舗の一番馴染みのコーチだったのは配慮だったのか、たまたまだったのかは不明です。コースによっては第一泳者の方にしか水中スタートの台が置かれていないということで、飛び込みができない子供は第一泳者と指定されたので、私が第二泳者になりました。(私も水中スタートですが、飛び込み台に手をかけて待機できるので)

コーチが伴泳してくれたおかげもあり、足のつかない初めてのプールでも息子は無事25m泳ぎ切り、私にバトンタッチ。タイム(25m×2)は51秒03でした。

コーチと泳ぐ息子、反対側に待機する私

息子壁タッチからの私のスタート

泳ぎ終わって駆け寄る息子と私

あまり乗り気ではなかった息子も、無事泳ぎ切れてうれしそうでよかったです。たぶんコーチがいなかったら最後までうじうじ言っていたと思いますが、親以外の前だと少しは甘えが引っ込むのか文句言わずしっかり泳ぎ切ってくれてコーチ様様でした。コーチがいなかったら帰ってたと言っていました。

水泳の大会は出場だけでなくもちろん観戦も初めてでしたが、午後の一番最後が店舗対抗・コーチ混合のリレーでこれがとても盛り上がり、観戦もいいものだなと思いました。

 

今回の大会を通して三つ、次に向けての目標が見えてきました。

  • 飛び込みでスタートできるようにする
  • クロールをドルフィンキックでのスタートにする
  • クイックターンできるようになって50m競技に出れるようにする

うまい人がたくさんいる大会の雰囲気を味わうことでモチベーションアップにつながり、また、親子で同じ協議をするという楽しさ・充実感もあり、とても良い経験になりました。これからも引き続き頑張って泳ぎ続けていこうと思います。

 

<検索用キーワード>

ジムの名前、大会の名前は最初はぼかそうかと文中には書きませんでしたが、誰かの役に立つよう検索キーワード用に書いておきます。

メガロス

・第24回メガロスマスターズ