先日こちらの記事で献血ができない薬をやめて、献血を再開する話を書きました。
フィナステリドの服用を中止してから1ヶ月が経過したので早速献血に行ってきました。そしたらちょうど同じタイミングでTwitterでこんなポストが流れてきて、いろんな人の献血の遍歴やきっかけを目の当たりにしました。そんなこんなで、ブログを書こうと思いました。
献血の理由悲しいな
— すきにー (@ski2_1116) 2025年10月25日
ま俺も一緒だ pic.twitter.com/6EFLM0gUpC
話を戻してフィナステリド服用中止1ヶ月と書きましたが、献血と服薬の関係は当日飲んでいてもOK、当日飲んでいなければOK(前日まで飲んでOK)、3日以内に飲んでいなければOKなど、色々な薬がありますが、フィナステリドは1ヶ月以内に飲んでいると献血できないというかなり厳しい条件の薬です。(ちなみにフィナステリドよりも効果の強いAGA薬デュタステリドは6ヶ月も献血できません)
ここで、これまでの私の献血遍歴をまとめておきたいと思います。(自分のためにまとめておくのが本記事の目的です)
私が献血を始めたきっかけは簡単に言うと「父が頻繁に献血していた」からで、私が初めて父の献血回数を認識した時点で50回は超えていたと思います。(ちなみに献血のきっかけは、私と同じように家族が献血していたというパターンは多いらしく、他には家族や知人が輸血のお世話になったからというパターンも多いらしいです)単純に回数が可視化されて人の役に立てるのは楽しいなと思ったのと、記念品やお菓子をたくさんもらっているのを見て、献血できる16歳になったらすぐに献血を始めようと決めており、実際に16歳になったその月に早速献血バスに出向きました。当時、献血ルームが近くにない地域に住んでおり、献血バスの巡回予定を主に市の広報誌で調べて献血に行っていました。18歳からは400ml献血にステップアップしましが、全血献血は男性の場合200mlで6回・400mlなら3回しか年間にできないので献血ルームが近くになく献血バスのみの利用でもそう難しくなく年間上限回数の献血を実行することができます。16歳から20歳までは毎年上限回数まで献血していたと思います。
20歳になり大学進学のため引っ越した街は献血ルームがある街だったので、成分献血の上限に達するように通い始めました。ですが、当時結構太っていたため脂肪肝で肝機能の検査結果がよくありませんでした。これは16歳で初めて献血をしたときの検査結果からそうだったのですが、献血ができないという条件には当てはまっていないようでずっと続けることはができていました。ですが、ある時献血後に届く検査結果で肝機能の数値が今まで以上にかなり悪いことがあり、その次に献血ルームに行った際にその場で肝機能の検査を行い、やはり数値が悪かったので初めての献血お断りとなりました。(通常は献血前の検査では肝機能の数値は調べないので、数値が悪い人の特別な対応でした)
正式に診断を受けていたわけではないですが、原因は脂肪肝とほぼ予想できていたので、その後太っている状況は変わりないので数値改善も見込めず、献血に行くのをやめざるを得なくなりました。その約2年後に就職して職場に献血バスが来た際に、献血バスならその場で肝機能の検査はできないので断られないかもというのともしかしたら数値良くなっているかもという希望のもと、献血(バスなので成分ではなく400)に行きました。献血はできましたが、届いた検査結果はやはり肝機能の数値が結構悪く、やはり今後献血はできないと判断せざるを得ませんでした。これが16年前、今回献血を再開する前の最後の献血でした。ここまでで献血回数は36回でした。
数年後、色々な理由から痩せることに成功し献血断られない数値になったと期待できましたが、ほぼ同時にフィナステリドを飲み始めたためやはり献血は断念せざるを得ませんでした。普段の生活圏内に献血ルームがある場所に住んでいますし、献血の呼びかけを見るたびに「本当はしたいのに」と悔しい思いをしていました。その裏返しですが今回献血を再開するにあたり、生活圏内(隣駅・自転車でも行ける)に献血ルームがあり、引っ越す見込みもほぼゼロなので、最大限年間上限まで末永く献血を続けていく所存です。
さて、いよいよ今回の献血の話です。私が献血をしていない16年間の間に、Webから予約できる仕組みになっており、献血カードもアプリからの利用可能、検査結果もWebでの閲覧になっていました。フィナステリドの服薬を中止した段階で1ヶ月後に予約を入れ、1ヶ月後を今か今かと待ち構え、youtubeで様々な献血に関する動画を見て過ごしました。(献血ルームのレポート動画や、献血後の血液がどのように製剤になるかの動画など)
Web予約は献血カード番号があればそれを使って会員登録して予約できるのですが、2013年以降に献血していない場合は一度献血ルームで受付しないと会員登録ができないらしく、会員登録しない方式での予約をしました。献血ルームで受付後、その事情を説明して献血カード番号を提示しようとしたら、既に過去の私のデータが読み込まれていました。おそらく名前と生年月日で一致するものを探す仕組みがあるんでしょうね。
当日はいつものジム通い(プール)の後で献血に行ったのですが、献血前の検査で白血球が高く「この数値だと医師の確認が必要なんですが、風邪っぽいとか、激しい運動をしたとかありますか?」と聞かれてしまいましたが、プールの後に来たことを話し医師からは献血OKが出ました。(ただし、血小板成分献血が血漿成分献血に変更になりました)
16年の間に変わっていたこととしては以下の気づきがありました。
- シーフテスト
- 水分補給をかなりしつこく勧められる
- 比重の検査がヘモグロビンの検査に変わっていた
- 針が細くなっていた
献血できるかの基準が、以前は血液の比重で青い液体の中に血液を一滴落として沈むかどうかで判断していました。調べてみるとこれは硫酸銅法というそうです。これが、機械でヘモグロビン量を測る方法に変わっていました。
針については細かく見た目を覚えていたわけではないので見ただけではわからなかったと思いますが、針が細くなったとネットに書かれていました。献血の針は予防接種や健康診断の採血に比べると断然太く、それなりに痛いという記憶があったのですが、そう思って身構えていたからなのか細くなった影響なのか看護師さんがうまかったのかわかりませんが、あまり痛くありませんでした。
その後は順調に進み、血漿成分献血4サイクルがちょうど1時間で終わりました。
献血できない薬をやめたので16年振りに献血活動を再開しました!これから、年間上限回数目指してやっていきます。(まちだ献血ルームcomfy、通算37回目)
— 🐄 👨👩👦ぬーぼー✈️💻🏊♀️ (@noobow) 2025年10月26日
#東京献血 pic.twitter.com/AFwBI3PVut
今の献血カードの状態(過去3回分の表示)は
という今しか見れない記念すべき状態です。

これから年間上限目指して、趣味の一環としてできればいろんな献血ルームも行ってみて、やっていきたいと思います。